生命倫理に関する解釈が問題となる遺伝子治療

倫理面での議論がこう着状態に

「遺伝子治療が実現すれば、がんを撲滅できる」「不治の病となっているエイズも怖くない」など、一般の方は遺伝子治療を不可能を可能にする魔法の治療法であるかのような期待を抱いていますが、実現には越えなければならない高いハードルが待ち構えています。

遺伝子治療を実現するうえで最も大きな壁として立ちはだかっているのが、生命倫理に関する解釈の問題です。例えば、精子や卵子一つをとってもみても、その所有はそれらを産生している人間に属するのか、あるいはそれらが成長した子供にあるのか、あるいはどちらか一方に属すると限定できないのではないかという議論があります。

また、先天性の疾患(心房中隔欠損症、口唇裂、水頭症など)を遺伝子操作により健康な子供が生まれるのはよいことですが、欠陥を修正したものであるとはいえ、遺伝子操作によって生命を都合よく作り変えることへが本当にいいことなのか、遺伝子操作が適用可能なボーダーラインはどこなのかという問題もあります。さらに、子、孫、さらにその子供と数代経た後に想定外の障害が発生する可能性も否定できません。

そのため現在の研究のトレンドは、遺伝子に深く関与する生殖細胞ではなく、身体組織の体細胞の再生医療へ移行しつつあります。例えば、糖尿病が進行して壊死した手足の血管や、心筋梗塞によって血流が途絶えた血管の新生や再生については、既に臨床応用に至るまで研究が進んでいます。

これらは先天性の疾患を遺伝子操作で治療するのと異なり、後天的な障害を自分の骨髄細胞や末梢血細胞を培養して治療するので倫理的な問題はほとんどないというわけです。